2011年1月27日木曜日

八尋祐美の絵画


         なんだかすばらしいもののように思えた  八尋裕美
学生時代の八尋祐実で印象に残っている記憶は、アトリエ(絵画表現科の教室)の白い壁面に、どのような言葉が書いてあったか忘れたが、過激な表現であったことを覚えている。現在はアサビの絵画表現かの助手であるが、作品の制作場所である助手研究室の壁面にも「どいつもこいつも」という言葉が書かれている。
八尋は、「視えるもの」を具体的に描く技術は充分に修得しており、どうすれば、画面が成立するかは認識していると思える。しかし、絵画はそのようなことだけでは成立しえない。絵画は人間の精神性の何かと交換する価値を有するものであり、自我と無意識と画面と世界の関係の産物でもあると言える。その理由は、「絵画とは何か」という抑圧、「私どうなってしまうのだろう」という可能性、またはその否定。そのようなことから自我が不安定になり、絵を描くことが出来ないという事態に陥る。だがそのような状況が絵画を迫力あるものにするということがしばしば起こることも事実である。
八尋は卒業制作展の間際でそのようなことが起こった。一筆描きの牛のような自己像、痩せた骸骨のような自己像、包まったヌードの自己像、これらは自我の安定しない自己に対する怒りの表現に見えた。
だが、そのような怒りの表現とは別のインパクトを感じられる作品があった。”木”を描いた作品(「私にわかっている事といったら、自分のことばかりで」)であり、自己像とは異なるイメージを感じた。それは、内容よりも表面をかすめ取った映像のような絵画だった。当人は、そのような意識は全くなく、”木”を自己のイメージ(心象)で描いたにすぎない。
吉本隆明は心象の周辺について、次のように語っている。
「〈夢〉(固有夢)と〈心象〉とが決定的にちがうことは、〈夢〉は夢みるひとが欲するかどうかにかかわりなく現れる睡眠(入眠)時現象であるが、〈心象〉は想像するひとがそれを欲し思念しなければやってこないという点である。
これは〈心象〉の有意味性をネガティヴに性格づけている。〈心象〉は想像するものと、それに関係づけられている対象のあいだの結束点としてあらわれるかぎりでは、有意味性であるが、想像するものが意志しないかぎりでは、有意味的であるが、想像するものが意志しないかぎりやってこないという意味ではネガティヴなものといえる。」
八尋はイメージの結節点が見えないために、有意味的に思念してはいないので、作品を見る人からは、まるで入眠時の固有夢のように感じられることである。
このような単なる入眠時の無意識性から、描く世界(視える世界)と描かない世界(視えない世界)を描き分けることで、フィルムの表面をなぞったような画面が現出したのである。それは内容ではなく、”視ること”を拒んだ結果、表面しかない絵画となった学生時代の作品と凝視することを受け入れた現在のDMで使用した”木”の作品(「なんだかすばらしいもののように思えた」)は似ているようで非なるものである。「SAIKYO Line」の作品も「少女、帰宅」の作品も”視ること”を拒んだ作品であるといえる。
その原因はどのようなことだろう。最大の理由は自我の安定にあると思える。そのことにおける現象は、描く度合い(どのように描くのだろうか)の不在ということだろう。学生を客観視出来ると同時に経済も客観視出来ることから、自己の客観視出来る状況が生まれたのである。その全体像を当人が認識し、把握していることが前提になる。だが、私の見る限り、前述した通り、今まで描いている絵画はほとんど入眠時に見る像のような無意識である。これを認識のレベルの次元の範疇に上げる、または括弧括りにすることが次のステージにステップアップすることになるだろうと思える。

2011年1月24日月曜日

きむらかおりの絵画


最初にきむらかおりの絵画を意識したのは、きむらがアサビの絵画科の学生の2年のときだった。タイトルは「デブが沼にささる」という奇妙なタイトルの絵だった。緑色の沼にヌードの太めの女性が沼の上に立っていた。大きさは20号程度の小さな絵だったが絵画そのものよりもタイトルのイメージ性に興味を覚えたことを記憶している。その絵は他の学生の現実性を超越したイメージの有り様に可能性を感じたことも確かである。
その後、作品の制作のための面接を重ねるうちに、出て来たテーマが「自己放棄」だった。普通に考えれば、「自己放棄」と言うテーマは経験を重ねた人格が所有する概念と認識していた。誰しもがそうだが、他者よりも自分が一番大事だし、自己が誰よりもかわいい。それは年齢を重ねていっても何ら変わらない考え方だが、世界のなかで自己が常に主体ではなく、一瞬でも他者やモノが真から主体に見える時があるのも事実である。絵画を描く基底はまずそのようなことが前提にあるだろう。それは単なる前提にすぎないがそれに早く気づくことは絵画のみならず、色々な出来事において重要なことのように思える。
3年になってから色面というか色斑によって画面を埋め尽くす画を描いていたが、そこには背景に溶け込みわずかに判別出来る人物が描かれていた。画面のなかに具体的に像としての人物はいるが背景も人物も同一の価値として描かれていた。
このことは、きむら自身の発言のなかで、モノも人物も風景も近距離で見れば差異として認識でき、名指すことができるが、果てしない遠距離、例えば天空の彼方に視点を設定すればモノも人物も風景も皆同じという価値観によっていると思える。
この話はどこかで既視感があり思い出して見た。それは現在ではGoogle earthがあてはまると思える。Google earthは天空から軍事衛星のようにエッフェル塔も自宅も認識出来る。それは倍率を上げて拡大すればのことで倍率を下げれば全てのものが同一に見える。ある意味、イメージを現実化したとも言える。
もう少し話しを進めてみる。吉本隆明は「ハイイメージ論」のなかでこの天空からの視線を「世界視線」(死あるいは終末からの視線)と言い次のように言っている。「ほんとうは、わたしたちのいう世界視線は、無限遠点の宇宙空間から地表に垂直におりる視線をさしている。しかもこの視線は、雲や気層の汚れでさえぎられない。また遠方だからといって、細部がぼんやりすることもない。そんな想像上のイデアルな視線を意味している。遠近法にも自然の条件にも左右されない、いわば像(イメージ)としての視線なのだ。この視線は無限遠点からみても10メートル上方からみても、はっきりとおなじ微細なディテールまでみえる架空の視線だ。」
Google earthによってであるが、経験的にも自宅の屋根は見えるが自宅の内部構造が見えないことに多少のいらつきを感じる。それはある意味、航空写真と近似している。そして、吉本隆明はこのように言っている、その世界視線は屋根でさえぎられ「生活空間の細かい内部を無化してしまっている。生活空間の内部で人びとがどんな表情で働き、遊び、恋愛し、泣き笑い、動きまわっているか等々は、人間の眼の高さや座高の高さの水平視線が加担しなければ想定できない。」
そして、卒業制作展あたりから色斑とともに「かろうじての輪郭」が画面に表れはじめた。最低限、人物だと認識できる輪郭線。色斑で埋め尽くされた表面に漂うように浮いている輪郭線。近作の「花のシリーズ」では、その輪郭線が顕著になってきている。そして背景は色斑ではなく、単一な色面となり、何回も塗り重ねられ絵具の物性の度合いが増している。その不透明感はまさに視線を遮断するように抜け道がなく塗られている。このことは、天空からの視線だけでなく、なんらかの夾雑的な視線が入っていることを意味しているように思える。最近作の「鵜原の葉っぱ」は完全な完成作を見ていないのでなんとも言えないところがあるが、「小島町団地のシリーズ」と考え方は近似していると思える。それは、天空からの視線を水平にしたことだろう。そそり立っているが、社会に埋もれる団地と同じように異常な大きさでそそり立つ「葉」。しかし、それもあらゆる緑のなかに埋もれてしまっている。このような、「存在はあるがない」というアンビバレンツな理念がこれらの絵画を支えて行くことだろう。
今回の個展はパフォーマンスを含むということになっているが、純粋に空間として作品を鑑賞したいというのが正直な感想である。
展示をご高覧になられた方々も忌憚のないご意見をよろしくお願いいたします。

2011年1月23日日曜日

surface/surface

                  五所川原       中村功


 絵画の基本要因は構造と色彩である。構造は奥行きとしてのイリュージョンと二次元としての平面との空間の関係であるし、色彩は滲み通ってくる味や匂いのように自然から身体への感覚として流れ込んでくる感情の強度である。絵画のように色彩そのものの写真を撮影したい。写真としての色彩を所有したいと言う欲望が最初にあった。モチーフとしての対象が存在しなければ成立しない写真というメディアは絵画とは似て非なるものである。その対象の存在を不在にすること。対象を色彩存在に還元してしまうこと。
 ベラスケスの王女マルガリータの肖像画は瞳を止めることで、角膜から対象までの凹状の空間を描いている。人間は瞳を止めていると言っても、長い間、対象を見つめることは出来ない。瞳は常に細かい動きを繰り返している。
 絵画が身体の流れで描くように、瞳の流れを身体のように使う写真を撮影すること。レンズによる「無意識の視覚」の走査力による画像の成立は「かつて見たことがない」というイメージの異界は、外側からの「風景の感情」を現出しているように見えることだろう。
TA


画像としての写真

 人形町VISION’SCross Line展(20101214日〜22日)に出品している5人がアサビに在籍して学習した写真はフィルムだった。しかし、それから10年経ち、時代はデジタルに変化した。当時のフィルム写真でも情報の伝達媒体と表現媒体との二極化は始まっていてが、消滅しようとするフィルム写真が表現の領域を担い、デジタル写真は情報の伝達媒体として特化してきた。
 しかし、2010年になりテレビも地上デジタル化が進行しデジタルTVが各家庭に浸透しつつある。ブラウン管のTVは奥行き感があり、液晶のデジタルTVは切り貼りのコラージュのように見え、デジタルのほうが新しいから良いと言い切れないのではないかと思っていた。現実には液晶デジタルTVはブラウン管TVを各家庭から駆逐してしまった。実際のところ液晶デジタルTVの画像に慣れてしまうとディティールの細密感などはブラウン管TVでは絶対に出せない肌理の細かさを持っているように見え、またそれを美しいと思ってしまう。このようにメディアが変化し情報が過多になればなるほど、人間は精神のある部分が発達することも事実である。それは大脳が第一義的に支配する「感じる」という感覚の分野であると言われている。このような情報機器の発達により、私達の感覚は今までの感覚と異なってしまっていることを意味している。
 しかも、インターネットの発達により、YOU TUBEなどから動画の情報にアクセスできる。今まで「写真」とは流れ去ってゆく「時間」を、シャッターを切る事で、一瞬にしてその状況の本質を画像により伝達出来るメディアとしてきた。それはH・カルチエ・ブレッソンの「決定的瞬間」とでも言えることが象徴している。だが、現在のデジタルカメラを手にした人々はそのようには撮影しない。まるで動画を撮影するように、静止画像の連続が動画であるように、または動画像の一部が静止画像であるように、このような撮影をしている自分に驚くのである。そこにはフィルムに比して、デジタルのほうがよりコストパフォーマンスが高いこともあるだろう。だが、それだけでなく撮影した瞬間に画像を確認でき、不用な画像は棄てることが出来る。それはフィルムカメラのように「決定的瞬間」を狙うのでなく、動画像のように撮影した膨大な画像から選択すれば、どこかに「決定的瞬間」が存在しているのである。フィルムカメラである瞬間にシャッターを切ること、そこには決断、決定、自己確認(黒崎政男より引用)の要素が深く入り込んでいると言われている。まさに自分に驚くとは、自己確認を行っていない自分に驚くのである。
 伝達機能を失ったフィルム写真は表現媒体へと変化し、デジタル写真は情報の伝達機能の媒体にのみに特化していった。マクルーハンが伝達機能を失ったメディアは芸術になると言い、TVも芸術になる可能性がある。と言ったが、まさにこのフィルム写真の画像はあてはまるだろう。しかし、現在の今の状況は、写真として表現されたフィルムからの画像は表現としての重みを失いつつあるように見える。早急なスピードで私達の意識がデジタル化され、アナログ的にシャッターを切ろうとしても、「決定的瞬間」のような集中力がなくなっているとも、もう出来ないとも言えるのではないだろうか。撮影された一枚のフィルム写真のプリントを鑑賞すれば、撮影した人が何を考えていたか、どのような感性なのか、男なのか、女なのか、年齢は幾つ程度なのか等、あらゆることを推測出来たメディアであった。これからのデジタル写真の画像は、写真が写真としての存在意義である感情や自己認識等を発揮したのとは異なるものになるだろう。それは匿名性な自己が視覚的無意識としてスキャニングするように撮影することから、見たものを全部言葉にする言語機械のようなものになると思える。果たして、いつまでフィルムは存在するのだろうか。

2011年1月17日月曜日

キュビスムのありかたーパブロ・ピカソ


パブロ・ピカソ「カラフと三っのボール」1908年、エルミタージュ美術館 サンクトペテルスブルグ 


        
                                  
                            
パブロ・ピカソ「瓶とグラス、フォーク」1911~12年 クリーブランド美術館




ピカソは初期の分析的キュビスムや後期の総合的キュビスムと言われるように抽象絵画を描いたと巷では思われている。しかし、カンディンスキーやモンドリアンの抽象絵画とは同じ抽象と言っても異なるように思えるし、ましてや、抽象という言葉は、近代の表現に特有なものとして始めて抽象が発見されたわけではない。単なる抽象形態だけを取り出せば、それはアルタミラの洞窟画における動物の写実によって描かれたのと同じ位の古さで抽象形態も存在していたといわれている。それは子供の絵と同様に「最古の原始人は、対象について自分が知覚する外観よりも、対象について自分のいだいてる観念を表現する方が、はるかに容易だということに気がついていたのである」といわれている。確かに画面の形象だけで判断すれば、古代の文様のように抽象の形態があり、ピカソもカンディンスキーも抽象の形態と考えられる。
 では、ピカソの抽象絵画はどのようなものと考えたらいいだろうか?
 キュビスム(立体派)の始祖といわれるピカソは、セザンヌが「自然を円筒、円錐、球として扱う」という自然を単純化してその本質のみに還元するところを継承している。“光の瞬時”を感覚的にとらえ、網膜に身をゆだねた経験的感性により印象主義を推進したモネと異なり、セザンヌは「色彩の中にあるプラン!・・・・私は私のプランを色調と一緒にパレットの上でつくる。おわかりだろうか」と言っている。それは色彩の組み合わせで構成されてゆく自然過程の中に絵画の持つ自律的構造を見てとったのである。筆先がカンヴァスに触れ色彩が画面の上にのる時、それは、絵を描くという経験的感覚を包み込んで把握しながら、自然という世界と離脱し、画面自体で構築されてゆくのを感じたのである。この時から、絵画とはもはや単なる、外部世界を模倣したもの、「自然に向かって開かれた窓」ではなくなり、絵画という論理的整合性を持った、一つの空間表現であり、その画面の持つ法則が、自然とは一線を画した閉ざされた世界なのである。このようなセザンヌの世界の見方をモデルとしたピカソの絵画は、モネのような印象主義者のように対象—感覚による受容—了解、そして表出という図式から、より身体の内部感覚へと移っていったのである。そのような分析的キュビスムは、対象を一点からながめるのではなく、対象のまわりを巡ったり、顔を対象に近づけたりして遠隔や、近接作用を行い、視点を多様化してフォルムをバラバラに微細化し、解体してしまい、それを身体内部の構成力によって統一するのである。
それは、絵画の色彩や空間のありかたとともに、モノの本質とは何かの探求であったともいえるのである。
空間とモノについてのピカソとともにキュビスムを推進したブラックの言葉が残っている。「伝統的な遠近法にわたしは満足できなかった。・・・わたしをとくにひきつけたものーそしてこれがキュビスムの主な意味であったーはその胎動をわたしが感じていた新しい空間の具体化であった。・・・それはわたしにとって単に事物を見るだけではなく、それに触りたいという、日頃わたしが抱いている欲望にこたえてくれた。わたしをひきつけたのはこの空間である。なぜなら最初のキュビスム絵画とは、まさしくこの空間の探求だったのだから。」
 ルネッサンスから近代までを支えた視覚的空間、数理的科学として画面に与えられた、人工的図式である伝統的な遠近法は、事物の実体に触れてみたいという欲求を、視ることで触りたいたいという触覚空間へと変わっていったのである。それは、価値の異なる一つ一つの事物を等価値として拮抗するように、構成することで画面を作り上げてきたのである。
 それは例えば、コップの口が視覚的には、楕円に見えるとしても、実際の現実は円なのであり、事物のフォルムは、眼に見えるままには存在していない。このような、比較的、理知的な認識の基盤の上に立ち、コップを真上から見た円と、真正面から見たコップそのもののフォルムや、把手の側面からみた図や裏側から見た高台そのものを、すなわち、事物のフォルムの真の姿において記述しようとするために、まるでコップの展開図を合成したような、典型的分析的キュビスム(前期キュビスム)の表現が生まれることになる。
これは、一種の近接視覚の現象に近いものであり、顔を近づけて、事物の表面をすれすれに見て認識していくのである。そこで、対象は水晶体の破片のように、バラバラに解体され、対象の名称が何であるかという痕跡を留めないまでに解体されてしまう。その際に「色彩」は、事物の「実在」を損なうものとして退けられている。そして画面全体はモノクロームに近い色調が支配するのである。しかし、分析的キュビスムは、「実在」への希求を目指しながら、対象の名称さえも消滅しそうになるという、キュビスムの表現行為の中に、モノの本質を探りながら「実在」という言葉さえも消滅してしまう矛盾も含まれていたのである。
 ピカソの絵画は初期の「Carafe and Three Bowls」の静物画は5色程度の色彩の使用で、基本は明暗に還元している。そのためモノの量感を感じ、物質の実在感が増し、力強い表現とも言えるが、「盲目的に生きようという意志まで感じられるような力強さがある。分析的キュビスムの「Bottle,Glass,and Fork」は各々の物体の名称が無意味に感じられるほど破片化され、単なる明暗の物質と化している。そこには怖いような物質的実在感があり、まさにそれが「盲目的意志」を感じさせる絵画としているのである。